西紅柿炒蛋(シーホンシーチャオダン)トマトと卵の炒め物。

魚香肉丝(ユィシャンロースー)細切れ肉と野菜の炒め物。魚は入っていません。風味だけ。

炸醤面(ジャージャンミェン)肉味噌ヌードル。

かなり塩が効いておりましたが疲れていたのでま、いいでしょう。内陸地方でアッサリしたご飯とかあんまり食べた事ないなー。
再び泰山駅に戻る。以前は「泰安駅」だったけど、ややこしいので変えたらしい。

泰山→曲阜行きのバスに乗り込む。

待つこと一時間以上…(怒)
ココでも「満員にならないと出発しない」常識を思い知らされました。19元、安いけど時間が無いのに…(涙)
乗り合いバス。殆ど寝てた…

約1時間後に曲阜(チュイフー/きょくふ)に到着。
孔子のふるさと曲阜。春秋戦国時代、800年間もの間、魯の都だった処。
世界遺産の三孔(サンコン/さんこう)と呼ばれる、孔子を祀った孔廟(コンミャオ/こうびょう)、孔子一族が住んでいた孔府(コンフ/こうふ)、孔子一族の墓がある孔林(コンリン/こうりん)を見学予定ですが…すでに日は暮れかかっております。
中国のルーツを訪ねる旅。曲阜に来て孔子にあやかり、自分を清め…という訳では無いのですがやっぱり三孔は行っておかないと。というか観ずして曲阜に来た意味も無いですから。
バスターミナルに三輪タクシーが沢山客待ちしていました。

とても簡素な造りです。

まずは孔廟まで、5元らしい。

それらしくなって来ました。

さすが観光で成り立っている街。整然としております。

何故か目的地から離れた所にあるチケットオフィス。さしずめインフォメーションセンターなのだろう…買いに行くと「通訳いかが?」と勧誘される。

土産物の屋台も一杯。三分で彫れるらしい。

んー、時間無いからまた今度。

孔廟と孔府は隣り合わせです。

入場料80元を払って中に入る。孔子が無くなった翌年、と言っても紀元前478年に孔子を祀る為に建てたらしい。日本では弥生時代あたりとな。凄い。

広い。ここでも南北に細長く「京都みたい♪」と思うと同時に京都が中国の都を真似たんやないか、と自己突っ込み。当初3つの部屋だったのが明&清時代に増築を繰り返し、今に至るそうな。

三の門「弘道門(こうどうもん)」

四の門「大中門(だいちゅうもん)」

このように門をくぐって前に進む、という行為を7回くらい繰り返す。建築様式や年式に細かい違いはあるらしいが、どれも「中国的やねー」でやり過ごす。古代マニアには怒られそうだが…だって時間が無いんですもの。
ごみ箱も景観を損ねぬよう

六の門「奎文閣(けいぶんかく)」は1018年創設の中国でも有名な古代木造建築物らしい。

門にしては厚みがある。これは住めそう。羅生門の如く…

奎文閣内は展示室になっており、

孔子先生を描いた図もありました。

奎文閣を抜けるとこのような碑が13個並んでいる十三碑亭(じゅうさんひてい)が。

両端の回廊も見逃さずに…

↓また出ました。魔除け(だと推測)の彫刻。丁度土産物屋が近くに居たので「どういう意味か?」と聞いてみる事に。
私「なーなー、あの飾り、何の意味があるん?順番とか決まってんの?」
売店員「あー、別に大した意味は無いねん。飾りや飾り。」
…この時ワタクシは歴史的建造物を見学する際には、やはりガイドが必要ね。と思うのであった…

七の門「大成門(たいせいもん)」を通り抜け…

↑モノクロ写真に着色したように朱が光っているのは気のせいかしら。
孔子が弟子達に学問を教えた、杏壇(きょうだん)

以前言っていた三大宮殿建築のひとつ「大成殿(たいせいでん)」まで来ました。孔廟のハイライトです。

全体図撮れないなー、と

加工してみました↓

たんこぶの木

「功徳箱」お金入れて得られる功徳、とは分かりやすい。

線香も有り、独特の雰囲気が流れている大成殿。実際、清の朝廷は皇帝御殿のみ許される宮殿建築様式を大成殿に取り入れる事を特別に許したらしい。さすがは孔子、人間国宝。

石柱の彫刻も素晴らしい。

ひとつの柱につき二匹の龍が珠を持ちながら雲と岩の間を昇っている…神龍(シェンロン)ね♪ by ドラゴンボール。

大成殿の裏には孔子夫人を祀った神殿が。

↓再び加工。

寝殿内ではバドミントンで遊ぶ服務員が…

北端まで来ました。見渡せば通り抜けられない門もいくつか。

屋根瓦の修復の跡が見られます。

年季が入った門。

屋外コンセント?では無く「通気孔」だそう。

小さいけど屋根まで完璧な建築。格式により通られる門が決められていたのかも…

門屋根の棟木の反りはわざとだと信じています。

木を支える図。

次は孔府です。どんどん日が暮れてくるーーーーー